災害支援
『被災地の赤ちゃんを救おう!プロジェクト』
全国から赤ちゃん物資、
支援金を募って、 赤ちゃんを連れて原発から離れ、
会津や山形に避難しているお母さん300名以上に
ミルク、お水、オムツなどをお届けしました。
【ボランティア】100名以上
『入学式衣類支援プロジェクト』
宮城県の被災地域全体で、東日本大震災で、
入学のために準備したフォーマルウエアを流された、
新小学一年生とその両親1000家族程度に
フォーマルウエアの支援と入学祝いの家族写真の撮影支援をしました。
【ボランティア】200名程度
『喪服支援プロジェクト』
被災地の皆さんが、一番必要としていたのは「喪服」でした。
入学式の衣類支援をしたことから、
「ご遺体のDNA鑑定が済んでも喪服がないから葬式があげられない」
「これから一年は何度も葬儀があるはず。喪服が欲しいです。」
「お葬式に履いていける靴が欲しい。運動靴では葬式にも出られない。
何とか届けてくれないか。」
というようなご連絡を沢山いただきました。
被災地の皆さんが、あの時、一番必要としているのは「喪服」でした。
私たちは喪服の支援を『心の支援』として実施しました。
1回のみの開催予定だった喪服のバザーは問い合わせが途切れず、
11月まで続きました。
被災者の方からお金を貰うということ
「タダで貰う」のではなく、安くても「自分で選んで、自分で買う」という行為は、
人として自立への第一歩かもしれません。
子どもだって、「もらう」より
「自分のお小遣いで、好きなものを買う。」のが楽しいはず。
無料だと「何でもいいから我先に」となるところ、
値段をつけることで、じっくり「選ぶこと」を楽しんでいただけます。
皆さん、「楽しい、楽しい」と口々に連発なさってました。
「まともなお買い物なんて、被災してから初めて!!」終わった後も、翌朝も、
「次はいつ来るの?」といろんな方々にお声をかけていただきました。
こんなに喜んでいただけると思っていなかったので、驚きました。
「お前、そんなに買ってどうするの!?」とお父さん。
「だって、楽しんだもの、いいじゃない!!」と嬉しそうなお母さん。
無料だったら、こうはいかなかったのだと思ってます。
女性にとって買い物は、元気の源なんですね。
第1回目のバザーを終え、『施し』ではない『支援の大切さ』を実感いたしました。
その後行政からも
「避難所から仮設に移動する時期だけど、お店が流されたままで、
生活雑貨を売っているお店もない。そういった物も扱って欲しい。」
とご要望をいただき、アイテムがどんどん増えていきました。
仮設住宅での孤独な子育てから母親の“うつ”や“児童虐待”等防止を目的に、
まま同士が繋がるようにと、
『ベビーマッサージの講習会&交流会』
を開催しました。
「震災直後にヘリコプターで運ばれて出産した。この子がいるから頑張れる」
というお母さんもいました。
多いときは20組の親子が参加して、裸の赤ちゃんたちに、こちらが癒されました。
仮設住宅での孤独な子育てから、母親の“うつ”や“児童虐待”等防止を目的に、まま同士が繋がるようにと、『ベビーマッサージの講習会&交流会』を開催しました。「震災直後にヘリコプターで運ばれて出産した。この子がいるかが頑張れる」というお母さんもいました。多いときは20組の親子が参加して、裸の赤ちゃんたちに、こちらが癒されました。
仮設住宅の自治会長さんたちを結ぶ活動です。
復興に向けて様々な課題を解決できるよう、励まし合い、共に考え、情報共有できるような関係が必要でした。
支援活動の中で、仮設住宅のとりまとめをしている自治会長さんたちの多くが、一人では対処しきれないほど多くの課題を抱え精神的に疲弊していることを知りました。
疲弊し切っている自治会長さんたちを支援しないと復興はありえないと思いました。
仮設の自治会の数は913地区もあり、ボランティアの数も減ってきている中で、一時的なボランティアや住民がリーダである自治会長の立場を理解し、支援し続けることはなかなか難しいことです。
調べた範囲では自治会長同士のネットワークは皆無でした。
同じ立場の自治会長同士が悩みや愚痴を言い合ったり、情報交換できるような、互いに支え合えるネットワークを創ることが急務でした。
新潟から中越地震の経験者の方を講師にお招きして
「孤独死を防ぐには」、「自治会運営をどのようにしたらよいか」
等のお話を聞ける勉強会も同時開催しました。
仮設住宅内の孤独での「うつ」,「孤独死」,「児童虐待」,「夫婦間のDV」などを防ぐことを目的に始めた活動でした。
この活動で仮設の住民と仲良くなれました。
何だかんだ言って、「まあ、めしでも一緒に食おうや、」ということで、人は一緒にごはんを食べることで、心の距離がちぢまります。
『一緒にごはんプロジェクト』は「一緒にごはんを食べることを習慣にする。」ことを推奨するプロジェクトです。
そこのおばあちゃんを誘って、あそこのお母さんをさそって。
お父さんたちが、「一杯呑もうや、」って、独り暮らしのおじいちゃんを誘ってもいいと思います。
集会所で、週に一回、「ままたちが、子連れでごはんを持ち寄って、食べる日を決める。」みんな子連れなら、気兼ねなく集まれます。
『一緒にごはんプロジェクト』では、気負う必要はありません。
原則は「自分が食べるものは自分で持ち寄る。」がルールです。
だから、いつでも、誰でも、簡単に始められます。
「集会所に来たの初めて」と、自分の仮設から出るきっかけになった方々も沢山いらしゃいました。
2012年6月から動き出し、2012年9月に陸前高田の仮設住宅の自治会長さんたちを中心とした『陸前高田市仮設住宅連絡会』の発足支援をしました。
その後1年近く事務局の支援を行いました。
住民にとって本当に必要な支援は何か?自立支援とは何か?
まだまだ続く仮設の生活・・・。
仮設住宅の自治会長さんたちと一緒に何をするべきかを考えながら活動しました。
2012年12月時点で、陸前高田には『仮設住宅支援員配置事業』がありませんでした。
『仮設住宅支援員配置事業』とは
『被災者緊急雇用事業』として被災者を支援員として雇用してお年寄りの見守りや支援物資の受け入れや配布等、仮設に必要な様々な事業を担うという事業です。
同じ岩手県でも大船渡や釜石、大槌町では仮設住宅に約1oo名の支援員が配置されていました。
住民は相談相手もなく、復興計画や生活に関するさまざまな情報の取得力の格差も大きい状況です。
集会所を管理する人材も不足しているため、陸前高田は他の地域と比べると集会所が活用し切れていないような状況が続いていました。
支援員を配置することで、住民にとっては心の拠り所ができ、自治会長さんたちの負担を減らすことができます。
本来行政が行うことを、被災した住民中心で行うことで、被災者に寄り添った支援ができると考えています。
『陸前高田市仮設住宅連絡会』で実施した事業です。